聖地。
幼い頃、ここはまさに聖地でした。
サザエさん等にでてきた、憧れの「デパート」です。
店舗内は幅広い年齢層に向け、様々な店舗が展開されていて
幼児や学生にも楽しめるようなお店も入ってました。
1978年12月にオープンしたそうです。
イズミに行くのは、本当に楽しみでした。
市東部出身の友達も、小学生の頃は
イズミと照文堂書店(商店街)が聖地だったと言っていました。
大勢のお客さんが来ることを見込んだのでしょう、店舗内の
立体駐車場の他に、周辺にも駐車場が3、4面程あり
店舗西側にも、もうひとつ立体駐車場がありました。
昔の車は、殆どがMT車だったので、店舗内のあの坂は
結構キツかったのではないでしょうか。
渋滞した日なんかは、もう・・・
屋上駐車場、大好きでした。
いつも母には言えなかったけど、イズミに来るたびに
屋上に車を停めて欲しかった。
そこから見る鶴山公園は、本当に綺麗だった。
そして、店内BGM。
もう20年近く流れ続けているんじゃないかな・・・
パラダイス銀河(by 光GENJI)は、欠かせないBGMですよね。
今時のしゃかりきコロンブス達はパラダイス銀河とか知らないでしょう。
もちろん、いつ歌が始まるのか、今か今かと
なかなかタイミングのつかめない、長〜〜い前奏の後
ようやく「いいもの見つけた〜♪イ・ズ・ミ♪」と歌う
イズミの歌も。
ステキです。
中学・高校生へと成長し、自分の足でイズミへ行けるようになると
本屋から雑貨屋からCD屋から、いろんな所を徘徊。
あと、洋服も自分で選んで自分で買えるようになって、
楽しかったなぁ。
しかし、90年台後半から少しづつ活気がなくなります。
96年、東津山にジャスコが開店。
そして98年、あの台風10号。
この台風で地下部分が浸水してしまい、地下の複数店舗が撤退。
イズミも採算面から撤退を検討したそうですが
地元の希望により復旧、営業を続けてもらいました。
しかし、イズミの活気は目に見えて無くなっていきました。
平成11年('99)9月1日のテレビ津山ニュース(サイト)によると
津山商工会議所が、津山市街にやってきた人に、中心街にくる理由や
立ち寄る場所のアンケートを実施したところ「立ち寄る場所」の集計で
1位 アルネ津山 63%
2位 商店街の店 41%
3位 市立図書館 15%
4位 イズミ 13%
という結果が出たそうです。
99年といえば、アルネ津山がオープンした年です。
これでますます、イズミに集まる人は少なくなっていきました。
あんなにイズミ撤退を引き止めたのに、結局は皆
新しいものへと流れていくんですね。
私は、車の免許をゲットした99年から、すごい勢いで
イズミへと通いました。
やっぱり、イズミが好きなんです。
それに、洋服とかも結構掘り出し物が合ったりしました。
「え〜〜、このメーカーの服、こんな安く売ってんの?」
「今日、1時から洋服半額タイムセール?!」
しょっちゅう通っていたので、サプライズセールなどにも
出くわしました。
なので、ますます通ってしまうのです。
しかし、こんなにイズミが大好きな私だったのですが
2005年辺りから、何だか面白くなくなってきたのです。
店内も、プチリニューアルしたのに・・・
リニューアルの方向が、少し間違っていたのかなあ・・・。
毎年、クリスマスの時期になると、中央エスカレーターの天井から
大きなサンタクロースを形どったボードが吊るされます。
これを見ると、
「ああ、もうすぐクリスマスなんだな。」
とワクワクしました。
あの夢の国は、もう戻ってこないのかな。
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<※追加注記>
2009年2月12日、イズミ津山店は30年の歴史に幕を下ろしました。
本当に、もう、あの頃のイズミは戻ってきません。
今まで、ありがとう!
本当にご苦労様でした!
H23.1.12追記
2010年11月5日、イズミ跡地に「DSイズミ」が
オープンしました!
あまり行った覚えはないのですが、母や妹はよく利用していました。
ここのチキンの照り焼きがおいしかったそうです。
私はお店の記憶がほとんどなく、確か
商品をレジ袋に詰めるゾーンの壁紙が
森林の模様で、そればかりが印象に
残っています。
あと、某磯野家を意識したようなイラストが
店舗入口の上にあった事かな・・・。
その他、2Fにはゲームセンターや、※
日用品売り場があったらしいのですが、
全然覚えていません。
閉店後は他に店舗が入るわけでもなく、違う施設になるでもなく
ずっと放置されていましたが、その後1階部分が吹き抜けになり
駐車場として使用されているようです。
2008年までは店舗の北隣に会社があり、店舗の残骸は
そんなに目立っていませんでしたが、そこの会社が解体され
現在のスシローになってからは道沿いから丸見え。
その廃墟っぷりをぷんぷんと醸し出しています。
*追記*
後にゼンリン地図を確かめたところ、サンバレーの正式名称は
「ニシナ・サンバレー」となっていました。スーパー部分はニシナだったんですね。
※ゲームセンターではなく、ゲームコーナーだったそうです。
お寄せいただいた情報
店内構成ですが、2階へ続く階段の途中と、正面から入った右側の
エスカレーターの下くらいに、「カードダス」や「ドッキリマン」(「ビックリマン」の
偽者。5枚100円。)のガチャガチャコーナーがありました。
また、1階にあったガチャガチャの並びに、数台のゲーム機が並んでいました。
2階の階段を上がりきった所にはおもちゃ売り場があり、そこを通路を挟んで
右側が衣料品や日用品のコーナーで、おもちゃ売り場の奥が、本のコーナーでした。
駐車場は店舗の裏にあり、そこから店舗へ入る通用口があったので、
車で来た場合は正面からではなく、そこから入るのが最短ルートでした。
通用口が魚臭さかったのが印象的です。
-その他追記-
左写真の矢印のあたりが正面入り口で、
丸で囲ってあるあたりにラーメン屋さんが
あったようです。そのお店の名前は
「中華そば よっちゃん」
だったそうです。
さらに津山鴎会@福会長さんによると、ここはチャンポンがおいしかったそうで
この近くに「長崎ちゃんめん」ができた時に、そこと競合したんだそうです。
(「長崎ちゃんめん」は現在ありません。跡地には、「すき家」が入っています。)
津山市で最初にできた「デパート」だったそうで、私の母も
学生時代は、よく行っていたそうです。
「大手町デパート」や「イズミ」ができる前は、ここしかデパートが
なかったので、店内は主婦や学生たちで賑わっていたそうです。
しかし、「イズミ」や「高島屋」などのライバル店の勢いに押され閉店。
私の記憶では、’96年頃にはすでになくなっていたと思います。
確かその後、2階に100円ショップが入ったような・・・?
記憶違いかも。
幼い頃、商店街へは数度しか行く機会がなかったのですが
私は、ここのニチイの佇まいが大好きでした。
高校生の頃、数回しか行ったことがないのですが
通りがかるたびに、ここの雰囲気を観察していました。
お店入口周辺に、2,3の店舗があったのですが、そのお店が
昭和を匂わせる佇まいで、そのノスタルジックな雰囲気が
たまりませんでした。
写真屋だったか、薬局だったか、菓子屋だったか―
今ではもう、分かりませんが、そのどこか懐かしい感じは
今でも忘れられません。
もっと通っておくんだったなぁ・・・
※H23.7.6追記
上記の「お店入口周辺」というのは銀天街からの入口のことです。
他には、「安田ガレージ」側から入る南向きの正面出入口がありました。
銀天街側の入口には証明写真機が置いてあったと記憶しています。
あと、ニチイが閉店になったかならないかの時に、2階のお店が全部なくなっていて
仮店舗のような雰囲気で、100円ショップができていたと思います。
お寄せいただいた情報
*情報提供:津山鴎会@福会長さん
ニチイへは昔、現在「ハシモト青果」となっている場所から入れました。
その通路の先には薄暗いゲームコーナーがあり、「あしたのジョー」という
機種(タイトー版)のゲームが置いてありました。
また、2階には喫茶店があったそうです。
「ハシモト青果」側の通路は、ニチイができた当初はまだ無く、
しばらくしてからその細い通路ができました。
たぶん、商店街の人の流れを考えてできたんじゃないかと思います。
薄暗くて、女の子は一人じゃ通れないような雰囲気でした。
おそらくここのデパートが、津山で一番最初にエスカレーターを
つけたお店じゃないかと思います。
津山鴎会@福会長さんによると、津山で最初にエスカレーターをつけたのは
銀天街にあった「マルシン」だったとのことです。
※以下のお店は、情報不足です。
よろしければ、メールフォームもしくは掲示板から
情報をお寄せください。
思い出話など、お気軽に。
だったそうです。
私は、ここが高島屋になった頃からしか知らないので
全くここの情報は知りません。
現在、ここの情報・思い出話を募集中です。
お寄せいただいた情報
*情報提供:津山鴎会@福会長さん
ここの屋上で経営されていた焼きそば屋さんは、現在も津山市沼で
経営されている「ひら山」さんでした。
また、大手町デパートの食品部は「マルイ」でした。
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※H22.4.23追記
掃除をしていたところ、なんと
大手町デパートのチラシが出てきました!
撤退した後、同店舗で開店しました。
高島屋岡山店の分店ということで、店内では
高級婦人・紳士服、高級食材などを扱っていました。
また、個展などもよく開かれていました。
しかし、かねてからの不況の煽りはもとより、アルネ津山や
ジャスコの進出により業績が悪化。
平成11(1999)年3月に閉店となりました。
参考:テレビ津山ニュース
私はここの最盛期を知らないのですが、当時は結構な
人気店だったであろうことが、跡地からも伺えます。
また、手元にある「英田郡」91’年度版ゼンリンには
夢がある 明日がある
と大きく広告を出されています。
やはり相当活気があったのでしょう。
私が車の免許取りたてで、運転が楽しくてしょうがなかった頃
妹を巻き添えにして、あちこちドライブし回っていたときに見つけました。
その頃はスーパー巡りにはまっていたので、ここでも
店内をぐるぐる見回りました。
2000年頃にはそうでもなかったのですが、その2〜3年後には
もう車も来客数も少なく、カウントダウンが始まっていたような感じでした。
ただ、隣接していた「キャッツ」というファミレスは、結構評判がよく
RIO閉店後もしばらくは営業されていたようです。
(他のテナント店も全て掲載されていますが、一応割愛しておきます。)
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※H23.1.12追記
跡地は「セレモニーホール菩提樹」になっています。
・久世ロマンチックタウンアルティ 真庭郡久世町久世2415
・ボンエース 真庭郡久世町久世2935-1