津山市中心部にある
イベントホール。
舞台ホールの他、会議室や
展示室もあります。
外見は昭和モダンな感じで、1965年に川島甲士氏が
設計したものだそうです。
津山瓦版によると
「『城壁の圧倒的量感と、なだらかな曲面に対応させ、
市民のシンボルとなる』事が意図されていたようである。」
との事です。
また、ホワイエ(ロビー)のモザイクなどは、津山育ちの陶芸家
白石斎さんの作品だそうです。
2006年「日本におけるモダン・ムーブメントの建築115選」にも選ばれました。
H22.7.31 「文化センター建造秘話」 に行ってきました! PICK UP!
〓ここ以下、どうでもいい思い出話〓
文化センターでは、小学生の頃に観た「11ぴきのねことあほうどり」が
今でも忘れられません。
友人は、三波春夫の舞台を見た事が忘れられないそうです。
幼い頃は、あの吹き抜けの階段が怖くて恐る恐る登ったり
2階席の手摺が低くて、つまづいて下に落ちやしないかとヒヤヒヤしたもんです。
天井にある黒い楕円がブラックホールになるんじゃあ・・・とか
左右の壁にある照明のボックスが「カップスター」に見えたり
色々と妄想を膨らませていました。
後から聞くと、妹達もそうだったようで、もしかしたら他にも同じような
妄想をしていた津山市民もいるかもしれませんね。
いつも客席側から見る立場でしたが、私が中学生のとき
吹奏楽部に入部し、演奏会などで舞台側へと立つ機会が訪れました。
初めて舞台に立ったときは、得もいえぬ感動を覚えたものです。
何度か舞台へ出させてもらう機会がありましたが
やっぱり舞台の上、というのは慣れないもので、いつも緊張していました。
吹奏楽部では、10月頃に定期演奏会(定演)というものを開き、それをもって
3年生は引退、という行事があるのですが、毎年それは学校の体育館で行われて
いました。が、私たちの学年が引退の年、なんと
「文化センターで定演を開こうじゃないか」
という話が持ち上がりました。
文化センターで定演!
津山シティーブラスと同じ舞台で定演ができる!
しかも、もしそれが叶えば、この学校で私達が定演@文化センター第1号。
これは絶対に文化センターでやりたい!と思いましたね。
そしてある日の部活終了後、顧問の先生が、定演を学校で開くべきか
文化センターで開くべきか、部員達にアンケートをとりました。
「文化センターがいいと思う人。」
わたくし、サッ、と挙手。
もちろんみんなも挙手して・・・
ん?あれ?
「体育館がいいと思う人。」
ザザザッ。
・・・なんと、文化センター派は3年生ばかりで、後輩部員ほぼ全員が体育館派。
結局、後輩達の反対にあった形となり、文化センター定演第1号は
叶わぬ夢と終わったのです。
がっ・・・
次の年、なんと・・・
定演は文化センターで開かれました。
あんたたち・・・反対してたじゃん・・・
それからは毎年、定演は文化センターで開かれているそうです。
-おまけ話-
私の妹も中学では吹奏楽部へ入部し、秋にここで定期演奏会を開きました。
文化センターで本番前日のリハーサルを終え、舞台裏へ楽器を片付け
さて帰ろうかというときに、妹の友人がなんとなく
「何か、ここ嫌な感じ〜。」
と、ハープを別の場所へ移動させたそうです。
そしてその夜、あの台風10号が直撃。
次の日、部員達は舞台裏で驚愕。
なんとハープを元々置いてあった場所が、雨漏りで
水浸しになっていたそうです。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、楽器というものは
むちゃくちゃお高いんです。
もし移動させず、そのままだったらハープは水浸し、
しゃれにならない修理代・・・
みんな、その友人に感謝したそうです。
不思議な事もあるもんですね。
ただ、鍵盤楽器は何台かダメになったそうです。
演奏会は最悪だった・・・と言っていました。
参考サイト:津山瓦版
津山文化振興財団
晴れた日の文化センター