岡山・津山特集
岡山ゆかりの有名人・著名人
岡山県ゆかりの有名人・著名人など、ジャンルを問わずにご紹介します。
少々偏りがあるかもしれませんが、随時追加予定です。

岡山の人はあまり、県出身の有名人・著名人を後押ししたり
応援したりする気質ではないそうです。(もちろん皆ではないですが。)
まずはどんな人たちがいるのか、少しでも多くの人に知って
もらいたいと思い、取り上げました。

なお、全ての項目においてWikipediaを参考にしています。
その他参考にしたものは、各項ごとに別に表記して有ります。

※50音順です

あ行


青木  雄二(あおき  ゆうじ)

漫画家。京都府出身。
岡山県立津山工業高校卒業。
久米南町役場の職員として勤めたこともあるが、3ヶ月程度で退職。
その直後、大阪へ出てさまざまな職を転々とし、44歳で漫画家デビュー。

本人いわく「岡山の人間は薄情だ」との事。

2003年9月5日逝去。享年58。

代表作は
「ナニワ金融道」(講談社)
「カバチタレ!」(監修・同社)
など。
その他、エッセイなどの著作が多い。


石井  十次(いしい  じゅうじ)

日本初の孤児院創立者。宮崎県出身。

宮崎で小学校教師として教鞭を執っていたが、キリスト教信者で
医師の荻原百々平の勧めにより、明治15年、医師を目指し
岡山へと移住。
その4年後、邑久郡上阿知村の診療所で医師の実習中、
一人の男の子をキリスト教信者の未亡人から預かったのをきっかけに
孤児院を創立した。

医学を学びつつ孤児達の世話を続けるも、その両立は難しく
どちらかの道を選択しなければならなくなった石井は
「医者になる者はたくさんいる。しかし、貧しく哀れな子供達を
救済しようとする者は今、残念だが私をおいて誰一人といない。」
と言い、6年間学んだ医学書に自ら火を放ち、孤児救済の道を選んだ。

1887年(明治20年)、後の岡山孤児院となる孤児教育会を創立。
支援者などから寄付を得つつ、子ども達とともに働き
30年間で約3000人もの子ども達を救った。

1910年(明治43年)、石井の理念「鍬鎌主義教育」を実現するため
岡山孤児院を故郷宮崎の茶臼原(ちゃうすばる)への移転に着手し、
1912年(大正元年)に移転完了。

1914年(大正3年)、初孫誕生の知らせを受けた日、故郷宮崎で
48年の生涯を閉じる。

「児童福祉の父」、「岡山四聖人」と称される。

参考:教育実践のページ「石井十次の生き方」
        みやざき ひむか学ネット


稲葉  浩志(いなば  こうし)

歌手。津山市出身。

音楽ユニットB'z(ビーズ)のボーカリスト。

「どこの出身?」と聞かれ「津山出身」と応えると
「ああ、稲葉の」と返された津山市民は何人居るだろうか。

なぜか、彼のことを「稲葉さん」と呼ぶ津山人は多い。

津山といえば「稲葉さん」。
「稲葉さん」といえば「イナバ化粧品店」。
ここを訪れたファンは数知れず。

稲葉浩志君メモリアルロードマップ は
どうかと思うが、彼が郷土の誇りであることは間違いない。
津山駅前の観光案内所や津山観光センターで入手可(無料)。

稲葉さんの地元津山への貢献度は高く、98年の台風で大きな被害を出した
津山市へ寄付を寄せてくれたり、出身校の記念時には寄稿をしてくれたり
地元にある美作女子大学(現美作大学)の文化祭ではライブをした事もある。
また彼の出身地という事で、津山へ観光してくる人たちや、地元の大学へ
入学してくる人たちが増えた事も忘れてはならない。

津山市市民栄誉賞第1号受賞者。


犬養  毅(いぬかい  つよし)

政治家。岡山市出身。
郵便報知新聞の記者を経て、政界へ入る。
明治15年、立憲改進党へ入党し、8年後の第一回衆議院議員選挙で当選。
第1次大隈内閣で文部大臣、第2次山本内閣で文部兼逓信大臣、
第1次加藤高明内閣で逓信大臣を務めた後、引退。
が、地元岡山県民や支持者が引退を許さず、なんとその後も勝手に
衆議院議員選挙に立候補させ続けた。
結局、42年間で18回の連続当選を果たす。

昭和6年12月13日、第29代内閣総理大臣に就任。
その翌年の5月15日  日曜日、大日本帝国海軍急進派の
青年将校らが総理公邸にいた犬養を襲撃。
元海軍中尉三上卓の凶弾に倒れる。
77歳だった。(五・一五事件)

「話せば分かる。」

「問答無用、撃て!」

のやりとりはあまりにも有名。

岡山市北区川入(庭瀬の辺り)に
犬養木堂(ぼくどう)記念館がある。
JR庭瀬駅から約2km。


井上  聡(いのうえ  さとし)

吉本興業所属のお笑いコンビ「次長課長」のツッコミ役。
熊本県出身。岡山市で育つ。

相方は河本準一。

アニメやゲームが好きで、中でも特に「ドラゴンボール」が好きらしく
テレビでよくその事を発言していた。
それを見た「ドランボール」の作者・鳥山明が、お礼にと
「ドラゴンボール」作中のキャラクター「ラディッツ」に扮した井上さんを
イラストにし、本人にプレゼントした。
その絵は、ブログ「井上と川島の この世はでっかい宝島」で
見ることが出来る。


岩本  ナオ(いわもと  なお)

漫画家。児島郡灘崎町(現・岡山市)出身。

2004年「flowers」(小学館)に掲載された「その彼女の存在」でデビュー。

作品には、地元の風景などが取り入れられており
「自分が育った土地を舞台にした作品しか描けない」
と、公言しているそうである。
現在連載中の「雨無村役場産業課兼観光係」では灘崎町役場が、
「Yesterday, Yes a day」(連載終了)作中の家屋は、実家がモデルと
なっている。

2009年11月7日・8日に灘崎町町民会館で原画展
「漫画で見る灘崎の風景〜灘崎町出身の漫画家・岩本ナオ氏の原画〜」
が開かれた。原画展では、連載作品のキャラクターが描かれたサイン入り
カードが無料で配布された。(限定15枚)

代表作は
「町でうわさの天狗の子」(小学館)
「雨無村役場産業課兼観光係」(同社)
など。

「このマンガがすごい!2009 オンナ編」で
「町でうわさの天狗の子」が5位、
「雨無村役場産業課兼観光係」が6位にランクインしている。

参考:岩本ブログ
    岡山市立灘崎町公民館


オダギリジョー

俳優。津山市出身。

デビューは「仮面ライダークウガ」の主役、五代雄介役。
当初、特撮ヒーロー役には大きな抵抗を感じていたが、当時の
番組プロデューサーから
「子供番組のイメージを無視した新しい番組を作りたい。一緒に壊そう」
と説得され、オファーを受けたという。
のちに、雑誌「AERA」に掲載されたプロフィールには、何故か
『クウガ』の経歴が載っていなかったため、クウガのことは
封印したい過去ではないか、という憶測が流れた。
しかし本人は「(クウガの出演は)消していませんよ。」と発言しており
そういうつもりは一切ないらしく、また、『クウガ』に対して一定の
愛着をもっているようである。

映画・ドラマ出演の他、バラエティ番組への出演、映画監督も務める。
「帰ってきた時効警察」の第八話では主演・監督・脚本を務めた。

お笑い芸人「次長課長」の河本さんとは、小学校の同級生である。

か行


春日井  恵一(かすがい  けいいち)

漫画家。岡山県出身。

1985年「少年ジャンプ」で読み切りが掲載される。
その後87〜88年、同雑誌で「アカテン教師  梨本小鉄」を連載。
連載終了後も、何度か読み切り作品が掲載される。

代表作は
「アカテン教師  梨本小鉄」(集英社)。

ちなみに「セクシーコマンドー外伝  すごいよ!マサルさん」に
この作品の主人公「梨本小鉄」をパロディーにした「無し元小銀」という
キャラクターが登場する。

参考:アカテン教師 梨本小鉄 データベース


岸本  聖史(きしもと  せいし)

漫画家。岡山県勝田郡奈義町出身。

少年ガンガン増刊号掲載「TRIGGER」でデビュー。
2001年、少年ガンガンにて自身の代表作となる
「666〜サタン〜」の連載を開始。
2007年完結。コミックスは全19巻。
少年ガンガンの中でも、長期連載となった。

当時のガンガン誌上では、各作品の表紙に記されている
作者名の上に、作者の近況などのコメントが添えられていたが
ある号で岸本氏は「地元で三木道三に遭遇!」と書いていた。
おそらくその数ヶ月前、津山市で行われた「ごんご祭り」に
出演していた三木道三のコンサートを見に来ていたと思われる。


岸本  斉史(きしもと  まさし)

漫画家。岡山県勝田郡奈義町出身。

1996年「カラクリ」で週刊少年ジャンプ(集英社)よりデビュー。
1999年に「NARUTO―ナルト―」の連載を開始し、絶大な人気を得る。
その3年後には同作がテレビアニメ化され、テレビ東京より放映される。
現在も週刊少年ジャンプにて連載中。

ちなみに奈義町の電話帳は、ナルト(「NARUTO」の主人公)が
表紙になっている。

斉史氏は、上記聖史氏の双子の兄である。


吉備  真備(きびの  まきび)

学者・政治家。

奈良時代に活躍。
真備町(現・倉敷市)の名の由来になっている。

717年、22歳の時に遣唐留学生として唐へ渡る。
唐では天文学や兵学などの学術を学び、多くの学術書を日本へ持ち帰った。
また、帰国時には九尾の狐が同船していたという逸話もある。
その後、国内では彼の能力が認められ、従四位上にまで昇進。
時の権力争いにより筑前守、肥前守に左遷されるも、751年に
遣唐副使として再び唐へ渡る。
この2度目の帰国時には、五度も渡日に失敗していた鑑真を連れ帰っている。
この後も真備は、政治の世界で大宰少弐、従三位、中納言、大納言と昇進し
右大臣にまで出世した。

771年、光仁天皇の時代のときに辞職。

775年没。

学者がここまでの出世を果たしたのは、真備の他には菅原道真のみである。

※出身地について。
真備の父は吉備郡真備町(現・倉敷市)出身、母は大和国(奈良県)の
出身です。真備の出身地は真備町とも矢掛町とも言われていますが、
母の出身である大和地方(平城京)であるという説が有力なようです。

参考:吉備真備の勉強部屋


胡桃  ちの(くるみ  ちの)

漫画家。津山市出身。
作品は4コマ漫画が主。

主な作品は
「なにわOL奮戦記」(竹書房)
「大阪愛のたたき売り」(同社)
「バール横丁奇譚」(同社)など。

「バール横丁奇譚」は津山市にある「バール横町」がモチーフと
なっており、主人公達が通う学校も、作者の出身校がモデルになっている。

下ネタ系作品は
さおしか然、みさき知乃
などの名義で描いている。

主な作品は、
「ピーチク  パーチク」(双葉社)
「ホームメイド・メイド」(ぶんか社)
(以上さおしか然名義)他、
「い・け・な・い!瑠璃ちゃん」(松文館)
「イケイケOL」(一水社)
(以上みさき知乃名義)など。


玄田  哲章(げんだ  てっしょう)

声優。岡山市出身。

声優業以前は、同じく声優である野沢那智主宰の劇団に入団しており
舞台俳優として活躍していた。
野沢の紹介がきっかけで、声優業へと進む。

アニメ、洋画の吹き替えに多く出演する、ベテラン声優である。

なお、アーノルド・シュワルツェネッガーの吹き替え全般は
彼が担当している。

主な出演作品は
「ドカベン」(岩鬼正美)
「Dr.スランプアラレちゃん」(スッパマン)
「クレヨンしんちゃん」(アクション仮面)
「シティーハンター」(海坊主)などのアニメの他、
「ランボー」、「ロッキー」のシルベスター・スタローンや、
「トランスフォーマー」コンボイ役などの
洋画吹き替えも、数多くつとめている。


河本  準一(こうもと  じゅんいち)

吉本興業所属のお笑いコンビ「次長課長」のボケ役。
愛知県出身。その後、津山市、岡山市へと転居した。
本人は岡山県出身としている。

相方は井上聡。

フジテレビ系バラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」の
1コーナー「細かすぎて伝わらないものまね選手権」で
「ジャッキー・チェンの映画に出てくる定食屋の店員のモノマネ」と題し
「お前に食わせるタンメンはねぇ!」のネタを披露。
これをきっかけに、飛躍的に知名度を上げる。

その翌年「Matthew's Best Hit TV」(テレビ朝日)のコーナー
「なまり亭」に出演した際、電話で岡山の実家のお姉さんと会話。
その時のお姉さんの個性的なキャラクターが受けたのか、そのまた翌年
同番組で、岡山市にある実家とご家族が、生中継で全国放送された。

また、「人志松本のすべらない話」でも家族ネタをたびたび披露している。

津山市にいた頃、小学校では俳優のオダギリジョーと同じクラスだった。

さ行


桜乃  彩音(さくらの  あやね)

宝塚歌劇団、桜組の娘役。津山市出身。

中学生の頃、宝塚歌劇を観覧して以来、宝塚は彼女の憧れであった。
その後津山市内の高校に入学するが、夢をあきらめられず中退。
2000年、宝塚音楽学校へ入学する。
2002年に宝塚歌劇団へ入団し、「プラハの春」で初舞台を踏む。
翌年「二都物語」のヒロイン、ルーシー役に抜擢される。
2006年には「Appartment Cinema」で、アンナ役を演じ、花組の
娘役トップに就任した。

2009年11月25日、翌2010年5月に退団することを発表した。

参考:産経新聞 ENAK「花組娘役トップ 桜乃彩音に聞く」


志穂美  悦子(しほみ  えつこ)

元・女優。西大寺市(現・岡山市)出身。

日本を代表するアクション女優で、JJサニー千葉が主宰する
「JAC」(Japan Action Club)に入団していた。

2008年、テレビ朝日放送の「最強女優伝説!!〜第33回ホリプロ
スカウトキャラバン〜」番組内での水道橋博士の証言によると
吉井川(川幅33m部分)を泳いで渡ったという逸話もあるらしい。

主に映画、ドラマに出演。
1987年、歌手の長渕剛と結婚し芸能界を引退。

主な出演映画作品は、
「女必殺五段拳」シリーズ(東映)
「若い貴族たち  13階段のマキ 」(同)
「男はつらいよ  幸福の青い鳥」(松竹)
他多数。ドラマでは、
「キカイダー01」(テレビ朝日)
「噂の刑事トミーとマツ」(TBS)
「姿三四郎」(日本テレビ)
など多数。


重松   清(しげまつ  きよし)

作家。久米郡久米町(現・津山市)出身。
角川書店勤務を経て、作家となる。

主な著作は
「ビタミンF」(新潮社)
「ナイフ」(同社)
「日曜日の夕刊」(毎日新聞社)
など多数。

田村章名義で、ドラマや映画などのノベライズも多く手がける。

「世にも奇妙な物語」(太田出版)
「101回目のプロポーズ」(同社)
「僕らに愛を!」(フジテレビ出版)
など。


水道橋  博士(すいどうばし  はかせ)

芸人。倉敷市出身。

1986年にビートたけしに弟子入りし、翌年、玉袋 筋太郎と
お笑いコンビ「浅草キッド」を結成する。

芸名は、「鉄腕アトム」に登場する「お茶の水博士」がベースとなっている。
眼鏡をかけると、漫画に出てくる博士のような風貌である事と、
水道橋博士が中退した明治大学の最寄り駅が御茶ノ水駅であり、
師匠のビートたけしが「ひとつ手前でいいや」と、そのひとつ手前の
駅の水道橋駅からとった事が由来になっている。

オールナイトニッポン(ニッポン放送)、浅草橋ヤング洋品店(テレビ東京)、
タモリ倶楽部(テレビ朝日)、熱血!平成教育学院(フジテレビ)
など、多くの番組に出演している。

また、小学生時代に「自転車の乗り方コンテスト」の岡山県代表として
全国大会に出場した事があるらしい。


た行
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