岡山・津山特集
吉備津彦命の温羅退治
・岡山県岡山市・総社市
[ 概要 ]
 今から約2000年以上も昔、総社市にあった鬼ノ城(きのじょう)に
温羅(うら)という百済の王子が住んでいました。

温羅は身の丈が4mもあり、髪は縮れ、頭上のこぶは角のように突き出し
目は爛々と輝き、口は大きく裂け、鋭い牙が生えていました。
また、火を吹いたり、水を汲んでは油に変えたりする不思議な力を使って
山を焼いたり、村を荒したり、人を食ったり、女をさらうなどしていたため
人々からは鬼と呼ばれ、大変恐れられていました。

 温羅の噂話はやがて都にも伝わり、この鬼を退治すべく、孝霊天皇の
第二皇子である彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)―吉備津彦命―が
時の天皇・崇神天皇の命により、はるばる都から吉備に遣わされたのです。

 吉備津彦命は家来達を連れ、児島の常山へ上陸しました。
一隊は北上し、やがて吉備中山に陣取りました。

 それを聞きつけた温羅は、鬼ノ城から吉備津彦命達のいる
中山めがけ、大岩を投げつけてきました。
吉備津彦命もこれに応戦し、温羅に向かって矢を放ちました。
更に温羅も、負けじと矢に向けて岩を投げつけます。
その交戦が続きましたが、矢と岩は空でぶつかり合い
それらは互いの陣に届くことなく、ことごとく落ちていきました。
その岩と矢が落ちた場所が、今の矢喰神社です。

これではいつまでも決着がつかぬ、と歯がゆい思いをしている
吉備津彦命のもとに、一人の老人が現れました。
老人は

「矢を一本ずつ撃っても、どうにもならぬ。
 一度に矢を二本番(つが)えて撃てば
 一本は岩を、もう一本は敵を討つだろう。」

と言い、すうっと空へと姿を消しました。

吉備津彦命は神様のお告げと喜び、老人の消えた空を拝みました。
そして早速お告げどおり、二本の矢を番え、温羅に向けて
ひょうと矢を射ました。

すると老人の言ったとおり、一本は温羅の投げた岩とかち合い
もう一本は見事、温羅の左目を射抜きました。

これにまいった温羅は、城へと逃げ込み、溜めていた水の栓を抜きました。
水はどんどんあふれ、やがて川となり、温羅は鯉に変化し
その川に逃げ込みました。
川は血吸川と呼ばれ、温羅の流した血で赤く染まりました。
その南にある地域は、その地で赤く染まったため、赤浜と呼ばれるようになりました。

吉備津彦命は、鯉に化けた温羅を追うため、自らも鵜(う)に変化し
なおも逃げ惑う温羅にとどめを刺しました。その場所が、今の鯉喰神社です。
そして温羅の首をはね、さらし首にしました。

 しかし、さらし首となった温羅は、夜な夜な不気味な声をあげて
鳴くようになり、人々はまた弱りはてました。

そしてある晩、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れ、こう話しました。

「私の首は、吉備津宮のかまどの下に埋めてくれ。
 そして、妻の阿曾女(あぞめ)にかまどの火を焚かせて欲しい。
 そうすれば、火を焚くたびに、人々の吉凶を占ってやろう。」

そして、かまどの下に約2m半もの穴を掘り、温羅の首は
かまどの下に埋められました。

それからというもの、そのかまどで火を焚くと釜は
よき事あるときはゆたかに鳴り、災いあるときは
荒々しく鳴くようにとなりました。

これは鳴釜神事と呼ばれ、現在でも吉備津神社に伝えられています。

※参考
・太田忠久・水藤春夫著「岡山の伝説」角川書店

《その他》
・中山から鬼ノ城までは、直線距離でおよそ10km。
・昔話「桃太郎」に登場する桃は、笹ヶ瀬川から流れてきたといわれています。
 笹ヶ瀬川は、岡山空港の北にある日応寺付近が源流で、その後53号線づたいに
 南下し、岡山商大付近で吉備路方面へ向かいます。
 (その後足守川と合流し、児島湖へと注ぐ。)
 笹ヶ瀬川の上流付近は、桃の産地でもあります。
・桃太郎伝説ゆかりの地のものすごくアバウトな位置関係図 (別窓)

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